6. 大澤山龍源寺を訪ねる6−2 近藤勇墓と辞世の碑 |
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近藤勇は、龍源寺にほど近い上石原(調布市)の宮川家の三男に生まれ、幼名を勝太といった。16歳の時、市ヶ谷柳町の道場主・近藤周助の養子になり、天然理心流の4代目を継ぐ。文久3(1863)年から慶応3(1867)年の大政奉還までの4年間、新撰組隊長として活躍した。京都・鳥羽伏見の戦いで負傷して江戸に戻るが、その後、甲陽鎮撫隊を組織して山梨県勝沼で板垣退助率いる官軍と戦って大敗し、千葉県流山で投降した。慶応4(1868)年4月25日、板橋刑場で処刑された。享年35歳であった。墓の左手前に近藤勇の辞世の碑が建っている。 |