写真右が高射砲陣地の跡地で、写真左は高射砲の台座である。ここには、高射砲6門が 設置されていた。昭和20(1945)年2月17日、米空軍の攻撃を受けて、4名の戦死者が出た。戦時中、三鷹の町は、米軍の一方的な空襲を数カ所で受けたが、米軍と戦火を交えたた所は、ここだけである。台座は四つ現存している。