- 「ドラえもんのどこでもドア」?
インターネットは「知識の宝庫」「学習の宝庫」になりうる可能性を秘めているが何でも効く万能薬ではもちろんない。
「ドラえもんのどこでもドア」に似ているかもしれないが、ドラえもんの役割をになってくれる先生が
いなければ「どこでもドア」は開かれない。
いくら高速のコンピュータを用意しても、それを最大限有効に利用する方法を心得た教師がいなければ、
何の役目も果たさない「ただの箱」である。
- 悪意をもった情報提供者も存在する
インターネットには情報の管理者は存在していないため、コンピュータもインターネット上
の情報の質をチェックすることはできない。あえて加えるなら、悪意の情報提供者も存在している。
したがって、有用な情報を発見し、子どもたちに伝えていくのも、教師の大事な役割のひとつに
なるわけだ。また、子どもたちに悪意の情報提供者の存在を伝えていくことは、社会にでていく
子どもたちにとって、実に大切な教育であるといえる。
- あくまでも疑似体験でしかない
インターネットを通しての交流は、実際に顔と顔をあわせてのコミュニケーションの代わり
にはならない。また、いくら情報をもらっても、実際に手の上にのせてみなければ「重さ」を
体感することはできない。
インターネット上でアフリカや南極を探検しても、これはあくまでも疑似体験である。アフリカの
大地や匂いや南極大陸の広がりは、実際に体験してみて初めて理解できるものである。
草原にひろがっている馬糞の匂い、南極で鼻水が凍りつくいうような体験は、やはりインターネット
ではむずかしい。
ただ、インターネット上の疑似体験が、実際の生活体験をより深めるものであり、実際の生活体験が
さらにインターネットでの情報収集につながっていくということは、子どもたちに理解させなければ
ならない。
- 「教師の役割を補完する」道具にすぎない
教室の主役はあくまで児童・生徒と教師である。コンピュータ(インターネット)は、教育目的の
達成のため、「教師の役割を補完する」道具にすぎない。子どもたちが自主的に学習に向かう、そのため
の動機づけは、教室にあっては、教師の大きな役割である。