| 本校紹介(どんながっこう?) |
所在地|教育目標|学校沿革|児童数|さわらの木|校歌|井口小の特色
歴史(れきし)|校長ご挨拶|道あんない
| 歴 史(れきし) |
昭和(しょうわ)47年(ねん)、今(いま)から27年前(ねんまえ)に、武蔵野(むさしの)の面影(おもかげ)を残(のこ)す雑木林(ぞうきばやし)、芝生畑(しばふばたけ)を切(き)り開(ひら)いて井口小学校(いぐちしょうがっこう)は作(つく)られました。400名(めい)の子供(こども)たちが第二小学校(だいにしょうがっこう)に別(わか)れを告(つ)げて井口小学校(いぐちしょうがっこう)へやってきました。1年生(いちねんせい)をあわせて517名(めい)14学級(がっきゅう)で井口小学校(いぐちしょうがっこう)はスタートしました。
当時は、校舎と校庭だけで、他のものは何もありませんでした。「緑の井口小学校」にしたいというのがみんなの夢だったそうです。リヤカーを引いて木をもらいにいったり、地域の方々が木を持ち寄って植えてくださったりしました。校庭は小石が多くて、朝会、集会の後に子供たちが、バケツを持って拾い集めたそうです。
正門を入った正面にそびえたっている学校のシンボルツリーは、開校の年の秋に地域の人々の尽力で植えられたものです。大きくたくましく育ってほしいという願いが込められています。
昭和48年3月に体育館が、翌49年1月には、校歌が作られました。学校環境が整い第1回の卒業生を送り出したのは、49年3月のことでした。
人の背丈ほどしかなかった桜の木々は、現在見上げるほどの大木となり校庭で遊ぶ子供たちに緑の木陰を与えてくれています。
正門を入ると、正面に「さわら」の大木が空を突き抜けんばかりの勢いで伸びています。
「さわら」の木は、井口地区のシンボルでもあります。江戸時代に、人々は貧しい生活を支える手だてとして、好んで育ちのよい「さわら」を植えました。風呂桶を作るのによかったからです。いわば、「さわら」は、地元の歴史を知る記念の樹木であるといっても過言ではありません。
この木を地元、高橋茂氏の承諾を得、青小対町会の協力で移植。本校の記念樹としました。
校歌にも「さわらの木」を盛り込んで、大きくたくましく育ってほしい子どもへの願いをたくしています。
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| 開校当時の「さわらの木」 | 現在の「さわらの木」 |
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