三小PTA 創立50年

−歴代PTA会長の皆さんより−


三小PTA50周年にあたり,歴代会長の皆様から,当時の思い出などをお寄せ頂きました。年代順に御紹介します。

第7代 故 岡崎伝太郎 様,御子息 岡崎孝夫 様 (昭和31年度)
第8代 澤登貞行 様 (昭和32年度)
第13代 澤登貞行 様 (昭和37年度)
第15代 澤登貞行 様 (昭和39年度)
第18代 新井正一 様 (昭和42年度,昭和43年度)
第19代 野中かず江 様 (昭和44年度,昭和45年度,昭和46年度)
第20代 越山拓 様 (昭和47年度,昭和48年度,昭和49年度)
第21代 米津鐵雄 様 (昭和50年度)
第23代 越山拓 様 (昭和52年度)
第24代 木本靖夫 様 (昭和53年度,昭和54年度)
第25代 吉田武 様 (昭和55年度,昭和56年度,昭和57年度)
第26代 中舘文子 様 (昭和58年度,昭和59年度)
第29代 菅谷百々代 様 (平成元年度)
第30代 平野文代 様 (平成2年度,平成3年度)
第31代 下村由美子 様 (平成4年度)
第32代 石川弘子 様 (平成5年度)
第33代 三橋優子 様 (平成6年度)
第35代 小川洋子 様 (平成8年度)
第36代 木見田真紀子 様 (平成9年度)
第37代 阿部裕子 様 (平成10年度)
第38代 桑田一恵 様 (平成11年度)

三小PTA


昭和31年度 第7代
故 岡崎 伝太郎 様
御子息 岡崎 孝夫 様

 御丁寧な御案内ありがとうございました。
 父,伝太郎は既に他界しております。
 現在50歳になる私も三鷹第三小学校の卒業生でありますが,住居は小金井市になっておりますので,私の子供達は三鷹第三小学校へは通いませんでした。
 当時,父は三鷹駅前にて菓子小売店を経営しておりました。(現在,私は同所で貸ビル業を経営しております)その店の二階が住居でして,子供の足では三鷹第三小学校まで遠かった記憶と,いつも遅刻をして,当時の担任・広瀬先生に怒られた想い出があります。
 父の想い出として,運動会の時,PTA会長の父の話が型通りの内容でつまらない上に,長くて恥ずかしかった事が強く印象にあります。
 父は,通学・通勤に費やす時間は長い人生には大きい無駄で,学校や会社は近い所程良いと言っておりました。その為,私は西荻窪で生まれ,三鷹,国立(桐朋中高),吉祥寺(成蹊大),小金井(現在の住まい),三鷹(現在の職場)という中央線沿線で50年を過ごしました。
 当時の校長先生は,ただただ恐い印象の朝比奈先生だったと思います。
 三鷹第三小学校の益々のご発展をお祈り申し上げます。

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昭和32年度 第8代
昭和37年度 第13代
昭和39年度 第15代
澤登 貞行 様

 今から40年程前,西澤(5代),村田(6代),岩崎(7代)各校長先生の頃,会長をつとめました。記憶も薄らいでいますが,次のいくつかのことが想い出されます。
*昭和39年,東京オリンピック・マラソンレースのとき,甲州街道ぞいにある知人の丘を拝借,確保し,PTAを動員して見学し,各国選手を声援したこと。
*広報部員の努力で『三小PTAニュース』 を毎月発行し,ホットなニュースを会員に提供したこと。
*三小PTA創設以来のあゆみを調査し,一冊のノートにまとめ,申し送った。(その後行方がわからなくなったとのことで残念)
*PTA文庫の創設。
*当時の三小は木造校舎で体育館もなく(46年設置),卒業式,学芸会,PTA総会などは,二階のブチ抜き教室を利用,床が抜けないかと心配だったこと,などです。

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昭和42年度,昭和43年度 第18代
新井 正一 様

 このたび,三鷹市立第三小学校PTAが発足50周年を迎えられ,その歴史の重さを痛感し心よりお喜び申し上げます。
 さて,校舎も木造から鉄筋になり,諸設備等も充実し,学校をとりまく環境の移り変わりにも驚きました。
 昭和35年度より親と子がお世話になった九年間は,思いかえすと短い時間に感じます。
 ふりかえると,左にあげたようないくつかの事柄が思い出されます。
*初めて出席した頃の役員会は夕刻から開催,メンバーもお父さんが目立った。学級父母会(当時の呼称)もお父さんの顔ぶれが目立っていた。
*規約改正で会員に会員名簿が配付され,選挙による役員の選出。
*昭和42年9月,校舎改築促進について陳情書を市当局に提出。(昭和42年10月20日発行の広報より)
*昭和43年秋,校舎改築問題も関係各位をはじめとしたご尽力により解決,明るい見とおしになる。(昭和43年12月23日発行の広報より)
*三鷹市公立学校PTA連合会(通称P連) 主催の一泊研修会等に参加。
*手元にある関係書類から,主に鉄筆で原紙 をきり,謄写版で一枚一枚印刷された書類で,その皆さんのご苦労が偲ばれる。
 最後に,PTA活動をとおして多くの方々に,ご指導とご鞭撻を賜りましたことに感謝を申し上げます。
 合せて,五十周年を契機に学校・PTAのさらなるご発展と皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

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昭和44年度,昭和45年度,昭和46年度 第19代
野中 かず江 様

 三鷹第三小学校PTA創設50周年おめでとうございます。
 私がPTAの会長として関わったのは,昭和44年,45年,46年の三年間でした。
 その頃を思い出してみますと,『校舎改築』への取り組みに明け暮れた三年間だったと思います。
 そこで私が感じたことは,PTAは子どもの環境を守るためにあるということでした。三小の子どもたちが校舎の改築工事によって狭くなる校庭で,いかに不自由をしないで短期間で改築を完成させる事ができるかを,常に念頭に置いて活動を進めて行きました。
 その頃,三鷹市内では児童数が増える時期で三小の児童数は九百人近かったように思います。そのような状況ですから,PTAの会合ではその数年前から,父母会などの場でも,校舎を増改築すべきだという声が常に起きていました。現状の校舎はというと,柱が曲がっている,廊下の板が腐りその上に応急的に板が打ち付けてあるという傷みが目立つ状況でした。子どもたちはその出っ張りに蹴つまずき,ピアノを動かせば床が抜けたなどということが日常的に起きていました。そのような現状から,PTAとして市へ陳情をしようという声が出され,当時の岩村校長先生と父母が激論を交わしていました。
 特に第二校舎は,戦後,児童数が増えたとき,PTAの父母たちが今の富士銀行(安田銀行)に自分たちが預金してあるお金を出し合って凍結し,それを担保に市が借金し建てた校舎で,廊下が一間と狭い上,窓がなく,従って教室が暗いため,少しでも明るい窓側に机を寄せて授業をしたりしていました。ある時は,少しでも明るい所で授業を受けさせてあげたいという思いから,ある学年では父母みずからが,裸電球を蛍光灯に変えたり,教室の壁を白いペンキで塗り替えたりして,管理者の校長先生から注意を受けるという一幕もありました。
 そのころの三小PTAの組織は,校内部,校外部,事業部となっていて,私は校内部長をしていました。これは学級委員長の集まりですが,その部会の声を運営委員会に報告し,役員や学校側と話し合いをしているうちに私自身がだんだんと校舎改築運動にのめり込んでいくようになっていきました。
 市には毎月,陳情を行いました。そこで,当時の鈴木市長はあるところで,「ほしいと手を出した方にやりたくなるのは人情だ」という発言をしたことから,さまざまな市政に関することについての陳情合戦になっていきました。そして気が付いたらPTAの会長だったということです。そして会長一年目には,ついに,陳情の結果として,改築工事が着工され,44年度に第一期工事として第一校舎の改築,45年に第二期工事として第二校舎の改築,46年度には第三期工事としてプール,体育館の新築工事がなされ,PTAの要望どおりに,三年間で工事が終了し,その年に竣工されました。
 もし工事の間隔をあけると,体育の授業もままならぬ狭い校庭で4年〜5年間も過ごす児童がいるということになり,たった一度しかない小学校時代をそのように長期間狭い校庭で過ごさせるのは教育上も,健康上もよくないと市へ間隔をおかずに改築をしてほしいと強く陳情したおかげだと思っております。
 46年度は校舎の落成と,創立30周年とが重なり,実に大変な年でした。
 これらを何とか務められたのも,校長先生を始め先生方,会員方々の温かいご理解ご協力の賜物と感謝の気持ちで一杯です。
 その年の11月には30周年記念式典。平和の鳩を飛ばしたり,みんなでご馳走を作ってパーティ形式の祝宴を実施したり,紺碧の秋空に色とりどりの風船を飛ばして感動したりと,思いはつきません。
 風船といえば当時,予算の関係で,その風船を一クラス数人にしか渡せなかったために,この情景に感動した子どもが,後に感想文の中で,「僕は何年か後の三小の周年行事のときまでに,一生懸命働いて金持ちになり,全校の児童に風船を飛ばせるようにしてこの感動を味合わせてあげたい」と書いていたのを思い出しました。
 あのような祝典方式を一番先に三鷹市内の学校でやれたのは,校舎改築運動でPTA会員の心が一つになっていたことと新(あたらし)校長先生の温かいご理解のおかげだと心から感謝をしております。
 今,少子化で子どもが激減していますが,二十年で激増から激減へと変化する児童数の現況を誰が予想していたでしょうか。また,不登校や社会を揺るがすような問題が起きるようなことを誰が予想していたでしょうか。
 今,このような現況を受けて,PTAは何をし,何を考えたらよいのか,すべてのPTA会員が心をひとつに,子どもたちのために考えて行かなければならないように思います。
 すべてが感動の三年間だったような気がします。そして,あの時にPTA活動に傾けた情熱が今の私の原動力になっているような気がしております。

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昭和47年度,昭和48年度,昭和49年度 第20代
昭和52年度 第23代
越山 拓 様

 三小PTAを卒業して,何年になるだろう。PTAの存在価値論なるものが,多く話題になった時でもありました。亦,教職員組合活動も,ストライキ,校門閉鎖等があり,もう一方では,校庭開放,プール開放。事にプール使用に関しては教育委員会との話し合いに日参し,市会議員に後押しをお願いする等,今にして思えば若かった,の一言につきてしまいます。夏休み中の教職員の指導を得てのPTA夏季プール開放は,市内で三小のみで,子供達もお母様方も喜んで貰えた事業でした。然しながら,日赤の救急指導員の待機を得ての実施だったのです。
 今は亡き磯谷教頭(当時)と校門両サイド砂場までの花壇の設置,学年毎の割り当て区画に花いっぱい活動,夏休み中の水遣り,運動会でのむしろ敷き,弁当持参OK等色々実施しましたが,地区委員会での,江ノ島水泳バス旅行なんて,今日では,考えられない事もありました。 
 今日の社会事情を鑑みて「そんな事もしたの」なんて云われる事でしょうが,いじめ,不登校,学級崩壊等,マスコミをにぎわして居ります今日です。三小PTAの今後の御活躍と御発展を祈念する者です。

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昭和50年度 第21代
米津 鐵雄 様

 昭和50年のことですから,古い話ですし,私も皆さん方とそう違わない年頃でした。
 市の青少年委員をしていた関係で,青少対活動の中心的メンバーとして積極的に活動せよとの先輩委員の命令と,委員としての使命感を持って学校に出入りしていました。
 ですから当時の校長を始め先生とは結構顔なじみになって,おつき合いさせて頂きました。当時のPTA会長からはPTAは大変だ大変だと顔を見るたび,こぼしとも自慢ともつかない話を聞かされてはいましたが,貴方はPTA,私は青少年委員とそれぞれの立場でボランティア活動をしているのだからと学校には出入りしてもPTAとは長いこと無縁の私でした。
 一人娘があと一年で卒業と言う時期を迎えて,なにやら選挙管理委員会から役員の候補になっているからと手紙が来ました。
 とんでもないと,お断りにのこのこ出掛けて行ったのが運の尽きでした。
 選挙管理委員の言うのには前役員は全員が辞任して一人も残る人がいないと言うのです。つまり会長を受けてくれなければPTAが消滅してしまうと言うのです。
 後の話になりますが,当時は評議員会(今はありませんが各学級から一名づつで構成,総会に準ずる重要議決機関)があって,三小PTAを廃止するか存続するか一年間にわたり論議を重ねて結論を出したものです。
 当時の「三鷹さんしょう」や「PTA運営委員会だより」「評議員会だより」などを見ていただければお分かりかと思います。
 再三の辞退,再三の自宅への押し掛を繰り返した結果,人の好さが災いして結局引き受けてしまいました。
 引受けてから色々聞いてみるとPTAの組織は各学級から3名の学級委員と一名の評議員がいて,PTAの予算はほとんどを全学級に配分してしまい,広報発行の予算があるのに広報部がなくなっているなど驚くことばかりでした。責任のがれで委員長のなり手がなく,運営委員会には全員で出席したいと,当時は二十数学級ありましたから6〜70名の学級委員,地区担当の委員に加え,評議員会の参考にするからと正副の委員長が毎回出席して,教室からはみだす程の運営委員会を毎月,声を枯らしながら開催しました。
 今考えるとPTAの全くの素人集団である役員,委員が手探りで運営した訳です。
 解散したばかりで,広報部員のなり手がありません。最初の号は役員で作ることにしました。知らぬこととはいえ編集現場を見てびっくり,原稿用紙を原寸のまま張り合わせて,教室の床一杯に拡げているのです。
 次の号では広報チームを特別に編成し,役員会と作成しました。その時には机の上の編集作業でしたが。PTAとはなにか,なぜPTAは必要なのかを巻頭言に,PTAの存続をかけて行なった会員アンケートの纏めと解説を特集に組みました。このアンケートは新聞記者の知るところとなり,読売新聞に大きく取り上げられました。PTAは学校に対して圧力となっているか?などの設問が新聞記者の関心を引いたようでした。
 又,『より良いPTAづくりのために』のタイトルで行った「P&T」の座談会は今でも時間差を感じない内容だと思います。
 幸いにして,今も三小PTAは元気に活躍しています。と云うことは当時の多くの会員があらためてPTAの必要性を感じて,残すべきだと結論づけたことにありました。
 三鷹の中でも運営の不満から一時PTAを廃止したらそのままになってしまった学校や,新設校で保護者会は作ってもPTAは作らなかった学校もいくつもあります。
 わずかな期間でしたが,一緒に苦労した役員達とのPTAを残すために燃え尽きた一年間でした。

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昭和53年度,昭和54年度 第24代
木本 靖夫 様

 三鷹三小PTA発足50周年を迎える歳月をふり返って,特に終戦後の教育の在り方,進め方,次世代の人創りの大切さを深く感じる今日この頃です。私がPTAに携わった約25年前と現代とを比較して考えてみると,今,子供を小学校に通わせている親の年代は,完全に戦後の教育を受けた両親によって育てられた子供たちであり,50年の教育の流れの中で出来上がった姿であり,良い事も悪い事も率直に受け止めなければならないと思う。
 私はこの25年間毎年4月の入学式に出席し,楽しいひとときを過ごして来ました。我が子の小学校入学式を迎える親の思い,これからの一人一人の子供達のすべての活躍を思い合わせると感慨無量です。特に私にとって今年は孫が初めて小学校に入学するので,時代の移り変わりを一段と感じます。次世代を担う子供達のために現在のPTAの活動が少しでも,あらゆる教育環境の向上に役立つ事が出来れば,PTA活動に参加している人々の満足感が多くなると思います。
 地域のために,我が子のために,益々のPTAの発展を祈念致します。

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昭和55年度,昭和56年度,昭和57年度 第25代
吉田 武 様

 40周年記念の準備に忙しい頃,懇親会のアトラクションの練習で初めてPTAのお母さん方のコーラスの練習を聴いたときのことです。中学,高校と男子校にゆき,大学でも,クラスにもクラブにも女子がいない環境で育った私には,宝塚の世界に迷い込んだような気持ちになったのを今でも覚えています。
 資金集めのためのバザーで木名瀬校長が『頭の良くなる氷水』売りを手伝ってくださったこと,記念式典のフィナーレに,七色の風船が青い空に上っていったことなど,鮮明に覚えています。
 でも,一番の思い出はやはり『力と愛と真心と』の記念碑です。産地まで買い付けにいった根府川石に,校長先生が書かれた文字を,三鷹の石工の方に彫っていただきました。校門を入って右手に建つ,40周年記念碑は,それにたづさわった役員をはじめPTA全員の大切な思い出です。

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昭和58年度,昭和59年度 第26代
中舘 文子 様

 新しく校長先生,教頭先生のお二人をお迎えして7年ぶりの女性PTA会長誕生の年でした。
 三宅島の噴火で疎開入学して来た児童に全校あげての温かい支援の輪が広がったこと,コツコツと地道な努力で集められ百万点達成のベルマーク,記念に植木がプレゼントされると言うことで「花が咲き実の生る木を」と校舎の南側に十本の苗木が植えられ,子どもたちの成長と自然の恵みを,春夏秋冬と共に人に恵まれ支えられての二年間でした

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平成元年度 第29代
菅谷 百々代 様

 私が会長をさせていただいたのは,平成元年,三人目の娘が6年生の時でした。
 役割分担してだれでもできるPTAを目標にスタート。2年後の50周年行事の為の資金作りにバザーを企画,大変な成果が上がりました。三校連絡会のお茶席や,手作り料理を作ったり,いつも6人で楽しみながら計画したことが思い出されます。夏休みプールでは,実演しながら考えた種目が子供達に大好評だったこともありました。子供の大切な時期に,より沢山関わることができ,大変思い出多い年でした。

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平成2年度,平成3年度 第30代
平野 文代 様

 私が会長をお引き受けしたのは平成2,3年です。平成2年は三小創立50周年の準備の年であり,三鷹P連の40周年行事と重なって忙しい年度でした。平成3年は,教頭先生が2年目,校長先生が新任ということで私自身多少の不安を感じながらスタートをきりました。
 しかし心配無用,11月にはすばらしい記念式典,祝賀会を終えることができました。
 また,その頃から生活科が始まる為,学校からの要望でPTAでは「なかよしどうぶつ広場」を贈ることになりました。今,あの広場はどうなっているのでしょう。
 PTA活動としては,会員の方たちの意見が聞きたくて運営委員会に情報交換の時間を設けるなど,規約を基に,より会員主体のPTAになるようこだわり続けた2年間だったと思います。

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平成4年度 第31代
下村 由美子 様

 PTA活動で,やはり一番印象に残っているのは,平成3年の『三小創立50周年』の行事です。PTAは,来賓の接待,祝賀会等のお手伝いをしました。2年前より,バザーを行い費用を準備したり,来賓の控室には,学年の保護者の方が,秋と言うことで,枯葉,栗など飾って,それぞれ趣向を凝らして大変すばらしい控室になりました。
 祝賀会には,先生方の大太鼓の演奏,地域の方々の阿波踊りも参加していただき,大変盛り上がりました。今でも一番の思い出です。
 三小PTAも50周年を迎えるとの事,これからも,三小PTAの発展を期待しています。

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平成5年度 第32代
石川 弘子 様

 私自身三小の卒業生で,その頃から数えますと40余年のお付きあいです。その中で三小PTAと私との関りは,4人の子供を通して20年になります。幸福な事に,40,50周年行事に参加する事が出来ました。
 会長になったのは平成5年,三小の校庭内に学童を設立する事で,市,教育委員会,学童,三小の子供達,松田校長,藤原教頭,それぞれの立場から話し合いがなされ,その時にタイムカプセルも話題になりました。
 ご存知の様に三小にはすばらしい桜の木があります。校庭に見事な枝ぶりで毎年子供達の目を楽しませてくれていました。東南の一角に学童建設が決まり,体育倉庫を取りこわす事になりました。その時に,昭和24年生まれの三小卒業生の一人が,タイムカプセルを卒業の時に埋めた事を想い出したのです。掘りおこしてみると,その当時自分達が一番大事と思ったものがハンカチにつつまれてそのまま出てきて,我々も当事者も大変感動した事が想い出されます。

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平成6年度 第33代
三橋 優子 様

 私が三小PTAにたずさわっていた時に,三小の校庭に学童保育所が移設されるという問題がおこり,前後3年間,この問題と取り組みました。狭い校庭の中に学童が移設されるという事で,保護者の間では反対が多く,『学童移設を考える会』ができ,市に対して署名,陳情書が提出されました。PTA役員として,保護者と市との話し合いの場を持ち,その結果,学童保育所を受け入れるかわりに,校庭開放を市がおこなう事と,学童保育所の施設を利用していない時間帯,保護者の方達の会合等に使用してもよいというとりつけをしました。
 現在,三鷹では校庭開放がおこなわれていますが,市が行なっているのは三小だけだと思います。この問題で教訓として得られたことは,全員がそれぞれの意見を出し合い,いくつもの議論を重ねた上で,結論を出すことの大切さということでした。地域社会の中で,PTAの取組みの意義を考えさせられました出来事でした。

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平成8年度 第35代
 小川 洋子 様

 皆様今日は。平成8年度のPTA会長を務めさせて頂きました,小川洋子です。
 会員の皆様には,一年間,いろいろな行事に,積極的にご活動頂きました。なかでも,鶴留校長先生のご提案により検討させていただき,牛乳パックの回収を始めさせていただいたことは,子供達や家庭の皆様に環境を考えていただく良い機会になったのではないかと思います。
 これからも,校長先生を始め,諸先生方,会員の皆様,地域の皆様の積極的なご協力,ご尽力を得て,活動を続けていってほしいと思います。

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平成9年度 第36代
  木見田 真紀子 様

 第三小学校ホームページの大ファンの一人です。開設当初からずっと楽しんで見ています。ときには,音を聴くのに苦労したりということもありますが,PTAと同じで,さびついた私の頭をすこし回転させるには,ちょうどいい刺激になるようです。
 PTAの役員をやらせていただいた一年間は,いろんな方に,大変お世話になりました。とても勉強になりましたし,なかなか得難い経験をさせていただいたと,感謝しています。台風,雨,大雪に見舞われた年で,それにまつわるいろんなことが思い出されます。そんな中で得られた人とのつながりをずっと大事にしていきたいとおもっています。

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平成10年度 第37代
阿部 裕子 様

 伝統ある三小PTAの会長を,まさか,私がお引受けする事になろうとは,夢にも思っておりませんでしたが,子どもがお世話になった学校,PTAの為にお手伝いができればという思いで,平成10年度の会長を務めさせていただきました。
 そして,会員の皆様方のご協力により,学校,地域,PTAが相互に協力し合い,連携を密にしスムーズに活動する事ができました。
 そのなかでも,学校の全面協力を得まして,平成10年6月に開設致しました『三小PTAのホームページ』は,まだ充分ではございませんが,多くの皆様方に少しでも三小PTAの活動について知っていただき,PTAを身近に感じていただける良いチャンスだと思っております。
 本当にこの一年間は,役員の皆さんと一緒に楽しく活動する事ができ,自分自身も成長する事ができ,充実した時を過ごせました。
 これからも,三小PTAの発展を心よりお祈り申し上げます。

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平成11年度 第38代
桑田 一恵 様

 子どもが三小でお世話になっている間に二つの「50周年」に巡り会うことが出来ました。
 一つは平成3年の第三小学校創立50周年です。とても盛大な記念式典が行なわれたのを今も思い出します。
 そして今年,三小PTAは50周年を迎えました。長い歴史の中,いろいろなPTA活動が行なわれて来ましたが,昨年開設されたホームページのような情報化時代にそった新しい活動も始まりました。
 これからも,家庭,地域,学校と三者協力しながらPTAの発展に努めてゆきたいと思います。

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ご協力頂きましてありがとうございました。

三小PTA

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